この世界は「生みだす」とか「創りだす」方向でしか、ものごとにも対処できないようになっている?
「夢の内容で肩がこるってあるのかなあ?」
生まれてはじめて、書道をしている夢をみましてね。
目覚めたとき、肩に微妙な違和感がのこっていたんです。
書道ってどこか緊張します。
たぶん夢の中でも同じ状態だったんでしょうね。
それにしても夢の中で書いた文字が「書道」だったなんて……、
我ながらおかしな自分だと思いながら、肩をぐりぐりと回して起きました。
「筆ペンのワークショップに参加したからかなあ」
参加してから日にちはけっこうたっているはずだけれど、
不意にあらわれるのも、夢の面白さだったりします。
筆ペンも書道もド素人のわたしですが、あのなんとも言えない緊張感は
きらいではありません。
息を止めていた自分にふいに気がついて、「ぷはっー」と慌てて深呼吸をしたりしてね(汗)
運動がすきなので、試合前の緊張感はなんども経験しているけれど、
それとはちょっとちがう感じがします。
その新鮮さが、夢につながったのかもしれません。
作品展がらみのワークショップだったので、たくさんの作品たちと出会ったのですが、知り合いが
「ものづくりは、人間にとって生きることそのものだね~」
といっていたことが、この夢でふたたび思い出されました。
朝の台所で卵を手にとりながら
「ものづくりって、創造だよね」
「生みだされたものだよね」
「フライパンだって、この包丁だってそうだしさー」
「さっきまで寝ていた布団だってそうだし」
「目覚ましでつかった携帯電話もだよね」
この卵だって生まれたもの、生みだされたもの。
わたしたち人間自身も、生みだされたもの。
「なんだよ、自分の周りは創造されたものだらけじゃん!!!」
朝の支度をしながら、次第になにかモゾモゾする感覚がやってきて、
もしかして、ここにあるすべてのことは、
「生みだす」というベクトルのようなものに支えられているってこと?
う~ん、こうやって世の中ができたのかもしれない。
この世界は「生みだす」とか「創りだす」方向でしか、
生きていけないっていうか、ものごとにも対処できないようになっている?
あーだから、悩み止まっているように感じると苦しくなるのかも。
ということは、悩みは「生みだす」ことへの前座みたいなもの?
主役の前に客席をあたためるみたいな。
もし「生みだす」とか「創りだす」方向で世の中が成りたっているのだとしたら、
悩みは、新しいなにかを「創りだす」ことでバランスがとれると……。
一人乗りツッコミみたいになってしまったけれど、未来のために、
自分から生み出されたものを、創造したものをメモしておこう!
取りあえず今朝のできごとを、Mediumにメモメモ。
悲しかな、忘れてしまうところがありますので。
なんていうんだろうか。
大人になってから「創りだす」ことって、どこかめちゃくちゃものすごい感がわたしの中にはあって、ハードルの高さを勝手につくっては、創造する前に創造することをみていなかったんじゃないかと思うのです。
でもこうやって現代の力を借りて、Mediumにメモもできたわけだし、
知り合いの作品展→ワークショップ→書道の夢→! のきっかけで、いつもの朝とはちょっとちがう朝が生みだされたわけで。
「お母さん、ご飯は? わたし時間ないんですけどっ!」
すいません(汗)
卵、焼きすぎました。
「今日、書道をやっている夢みてさ」
「夢の中で緊張してたみたいで、朝おきたら肩がこちゃっててさ」
と言いながら、席ににつくわたし。
「あーそれって、寝相の問題じゃないの?」
と忙しそうに朝ごはんを食べている子ども。
「あっ、それは否めない(苦笑)」
相変わらず鋭いところは見逃さない子どもの一言で、
一日のスタートがはじまりました。
いや、わたし的にはいつもとはちがう朝。
パンをかじりながら、もう一度思い起こしていて再び口を開け、
子どもにつづきを話そうと思ったら、
「はい、ごちそうさん~♪」
「今日は話し合いがあるから遅いからね~」ですって。
あっ、やっぱりいつもと同じ朝かもです(笑)